ぴよぴよぴよ日記
アフリカ行きを決めた私から、身近な人を中心に、その時々で私のしていること、思うことが伝わったらいいな。と思ってのブログです。
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帰国前のあれこれ2:お別れ編
大事な人とのお別れを思い出しながら書いてみようと思います。
1番は迷うところですが、
同僚のダバちゃん
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優しい優しい私の一番のお友達でした。
私を励ましてくれ、お互いのどんな事も話し合った、長い時間を過ごした友達。
最後の週末は彼女とゆっくり過ごし、
以前からつくりたいと言っていた、プリンを二人でつくりました。
出発前日は、私から離れようとせず。夜遅くまで一緒にいました。
「マミは、私の唯一の友達だったから、マミがいなくなったら、私友達いなくなっちゃう。
友達を通して、秘密をバラされて悲しい思いをしたりいろいろなことがあって
私の周りには友達が少ない。なんでも安心して話せるのはマミだけだったのに。そのマミが日本に帰っちゃうなんて」と、私を抱きしめながら泣いたダバ。
私は彼女のいろいろな事情を知っているけれど、
ああ本当にこの子が幸せになってくれますように。と
あんなに願ったことはありません。
出発当日は、遠慮がちに人の後ろにいたダバ。
大好きな大切な人でした。

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2人目はマリアトゥ。
私のお手伝いさんとして、2年、母のようにそばにいてくれた人です。
はじめは、以前彼女がみてきた隊員の話をよくするので
息苦しく感じることもありましたが、とても情の深い人で、
最後のあたりは、ダバに焼き餅をやき、いじわるをすることもあったようで
2人がしっくりいかなくなってしまったのは、とても心の痛むことでした。
最後の昼ご飯はマリアトゥと2人で食べ、だんだん会話の少なくなる感じは寂しかったです。
出発の日は、朝早くからやってきて、私の好きなビサップジュースをつくり、ダカールまでは遠いからね。と、持たせてくれました。

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私の警備員タバ。
以前私がもっと早起きだった頃は、2人でお庭でコーヒーを飲んだものでした。
出発前、私が珍しく早起きしてコーヒーを差し出すと、とても喜んでくれました。
出発当日も朝から現れ、出発の時間まで、庭の日陰で、
マリアトゥとなにやら穏やかに話し合っていました。
車の時間が遅れても遅れても、帰ろうとしない2人に
なんだか感動したのを覚えています。

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後輩隊員の2人。
出発の前日、あいさつにいくと、突然だったのに暖かく迎えてくれました。
「この村から、マミセックがいなくなるなんて・・・」と
寂しがってくれ、出発の日も、仕事を休んであの長い時間そばにいてくれました。

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お隣のサール家の人々
左がファンタでその隣がソフナ。
はじめは苦手だったこの一家がこんなに近く感じるようになるなんて。
村を離れる数日前、2人にお願いして、以前ファンタがうちにもってきてくれた
チェレブンが食べたいとお願いしました。
みんなでテレビをみて、薄暗い部屋でごはんを食べて。
ファンタがいいました。
「マミははじめの頃、もっと難しい顔をして私たちにうち解けてくれなくて
でも、少しずつだったよね。こうやってお互い行き来するようになって。
私は、マミがこうやってうちでゴハンを食べてくれること、すごく嬉しく思うよ」
とてもあたたかいなぁ。と思った。
きっとこの家族は変わらずそこにいて、変化が必要だったのは私だったんだね。

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私の村の仕立て屋イブラとその一家。
彼には何着も何着も服を作ってもらった。
ふっかけられてケンカした日もあった。
私だけでなく、私の友達の服の仕立ても、よくお願いしていた。
持ってきたおみやげの中に、彼に作ってもらったものも多い。
ダバの親戚でもあるこの一家は大好きで良く通った。
私の旅立ち1週間前に子どもが産まれて、命名式までいないかと
何度も言われたけれど、いつまでもズルズルいそうで断った。
命名式に出られないからと、布(とても安い物なんだけど)を
プレゼントしたら、目をうるうるさせて、
「ほらみろ。俺たちのマミはこうやって俺たちを助けてくれるんだ」
と、その布を奥さんのアダマに渡し、アダマは大事そうにそれを持っていた。
彼に同期8人おそろいでつくってもらったズボンを、
最後のパーティーでみんなで履く予定だったので、
「その写真、絶対送ってくれよ」といわれてその日は帰った。

上手く彼らの写った写真がないのだけれど、
ガクとアミカセという夫婦の仕立て屋さんとの別れも思い出深い。
ファティックという、私の村から一番近い地方都市の仕立て屋だった。
仲のいい先輩隊員から紹介してもらったお店で、期日に仕上がった試しがないのだけど
腕をかって、よくお願いしていた。
すごく迷ったけれど、最後に着る一番豪華なセネガル衣装はここにお願いしていた。
破格の値段で、私の注文する高いデザインの服を引き受けてくれ、
楽しみにしていたのだけれど、期日を過ぎて2度ほどよってみても
出来る気配がない。3回目にはお店が閉まってたりして、困るんですけど~。
最後にこんな思いするのいやだー!!と思いながら足を運んだ数回目、
アミカセが「マミー帰っちゃったかと思ったー!」と
駆け寄ってきてくれ、できあがった服をみせてくれた。
いつもは旦那さんのガクにお願いしていて、アミカセにはあんまりつくってもらったことなかったんだけど、あまりに不器用なつくりにちょっとア然。
「マミの服はねー。私がつくりたかったんだよ。マミはいつもファティックにくると、うちに寄ってくれて、おしゃべりしてゴハンを食べて。それが嬉しくてね。娘のようにも思っていたのに、それがもうこなくなっちゃうなんて・・・・。きっと似合うよ。来てみて」と泣くアミカセ。
刺繍が左右対称にもなってなくて、そもそもデッサンが微妙なんだけど、
彼女の気持ちを受け取ることにした。大切な服。
確かによく彼女達のお店には行ってたし、
服が出来るまで待つことも多くて、腹を立てながらよく待った。
なだめられながらゴハンを与えられ、怒りながらも食べ、
あきらめながらベンチで寝て待った。
そんな繰り返しだったけれど、こんなに寂しがってくれるとは思いも寄らなかった。
最後にプレゼントのワンピースと、彼女の写真をもらった。

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最後に園長。
終わりの三ヶ月で何か病気をしたらしく、この時の半分くらいにやせた園長。
仕事の最終日は彼女の園にいった。
国の幼児教育が大きく動き、
彼女の天下じゃなくなってしまいつつあるこの2年。
どれだけ言い合ってきたことか。
久々にゆっくり話をすると、だいぶ勢いがなくなっていた。

この人に呼ばれてここへ来た。
思うように動かないとムチで打たれそうな毎日を過ごした。
私は納得いかず、自分の正しいと思うように進んだ。
時代は、少しずつ私の味方だった。

あなたを娘のように思ってきたわ。お母さんにあげてね。
と、時々着ていた洋服をくれた。園長。

支配することで人がついてくる時代はもう終わるのに。
手強い人だった。
最後の握手も彼女らしかった。

いつか、私を呼んでよかったと、思ってくれる日がきたらいいのに。
子どもたちの笑顔の輝きに、気がついてくれたらいいのに。
人を大事にすることで、大事にされる人になれたらいいのに。

自分がしてきたことに後悔はないけど、
彼女も寂しかったのかな。



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帰国前のあれこれ1:任地編
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任地を出発したのは
11月の15日でした。

私の場合は、後任さんが私の退居を待ち、
他の隊員の家で同居していること。
後任さんが早くから来てくれているので引き継ぎも十分済んでいることから
早めの退居を決めました。

同僚ダバちゃんに、車の手配を一緒にお願いして、
(荷物が多く、乗り換えも多いので小さい車を貸し切ることにした)
午後出発する予定になっていました。

が、結局当日、待てども待てども車はこず、
あせったダバちゃんが、別の車を急遽手配してくれて、
途中、1度の乗り継ぎを経て、首都ダカールまでたどり着いたのでした。

なかなか任地を好きになれなかった私が、
何度通ったかわからない、首都への道を、
最後に通るときはもっと泣くかと思ったけれど運転手さんのおしゃべりもセネガル人らしくにぎやかで、
村から、出るとき、ほんの少し泣いただけでした。

今年の目標
帰国して1ヶ月ちょっと。
遊びほうけています。

懐かしい友達に会い、
勤めていた幼稚園に顔を出し、
大好きなママ達とも再会し、

まぁ、たまにはちょっと疲れて引きこもってみたり。

今後のことを考えて、
勉強したりしています。

お金は減っていく一方ですが、
焦らず、セネガルのゆっくりした時間の中で感じた
好きな自分、自分自身というものを大切にしたいと思います。

今年の目標は
「自分の感覚を信じる」です。
あんまり頑固じゃいけませんが、
流されて、後悔することだけはないように。

日本に帰ってきて、これからの基盤になる1年だと思ってます。
日本です。
おかげさまで、無事。日本に到着しました。

日本は、寒くて、人が急いでいて、めまぐるしくて。
でも、住んでいた場所で、両親がいて、自分の部屋があって。

しっくりいくような、すごく気持ち悪いような、
変な感じです。

せっかくユルんで穏やかな心が、
じんわりなじんでいけるように、

ああ、私をせかさないでね日本。
強くあれ自分。

そういう感じ。

帰国のバタバタや、いろんな気持ちはもう少しまとめてブログへ。

とにかく無事帰ってきました。
有意義な、かけがいのない2年間でした。

ありがとう。ありがとう。ありがとう。
感動だらけ
ふざけて「みんなが帰っちゃうよー」と泣き真似するマリアトゥ。
この数時間後、本気泣き。
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しばらくネットが使えなかったのですが、着々と帰国準備を始めています。
帰国を控えて、余計なトラブルもいろいろありますが、感動することだらけです。

1。友達が何人も帰る前にフィムラの人にあいさつしたいと、うちに来てくれました。
1人任地で不安でつらかった頃から、今まで。30人近い人がうちに来てくれていて、
1番多くて合計21泊してる友達もいます。
「自分の任地より好きかも」「自分の任地の次にここが好き」といってくれたりして、
セネガル人もそうだけど、こうやって、沢山の日本人の友達にもかまってもらって、
どうにか2年やり遂げられそうだなぁ。としみじみしました。

2。その21泊の友達が最後の訪問でフィムラに来たときに、
いっつも「ちょうだい」ばかりいうので、はじめは全然仲良くなれなかった
お隣のファンタが、彼女に布をプレゼントしてくれました。
1年経って、やっと仲良くなってきたのだけれど、まさかこんなプレゼント。
イライラしてばっかりだったあの頃、お隣さんとの関係をあきらめなくてよかったなぁ。
と、しみじみ思って、うるうるしました。

3。その21泊の友達の最後の訪問で、お手伝いさんでお母さんみたいなマリアトゥが
泣き出しました。「みんなが帰ってしまうのはしっているけれど、マミの友達は私の友達で娘みたいでもあって
すごくさびしくなる。マミもみんなも帰って、わたしだけ寂しい」といって泣いていました。
次の日、そっと私にプレゼントの布をくれました。私が彼女に払っているお給料の半分はしちゃいそうな
高価な、そして私の大好きな赤の綺麗な布でした。

4。最近、後任と園をまわって、先生達に紹介したり。配属先で今後の活動の方向性を話したりしています。
後任の彼女の活動計画は、私が1年目では考えられなかったような、深まったもので、これからの彼女の2年が
私たちの3年目として始まっていくことを嬉しく思います。
彼女と、もう一人の男の子と、セネガルの人たちと。そのはじまりの2年に役立てたかな。と思うと。
なんだか胸がいっぱいになります。
何日か前、苦しかった1年目からどうしても脱出したくて巡回をはじめて、最初に手応えのあった園に
後任を紹介しにいきました。そこで、彼女も多く活動したいといってくれ、
先生達ともいい話し合いができた帰り道。
馬車で通ってきた道を眺めながら、そこはもとからある道だけど、
「ああこれが、私なりに2年間で一生懸命つけてきた足跡だなぁ」と思うと泣けてきました。

5。昨日、10年日本人の警備員として勤めてくれた、おじいちゃんのタバに解雇通知をしました。
年齢的に目も見えなくなってきて、仕事に差し支えがあるという理由からです。
次の仕事もみつからないだろうし、後任はまだここに住むのに。私がいなくなるのと同時に
10年手入れしてくれたこのお庭に、もうこなくていいなんて、すごく言いずらくてなかなか言えませんでした。
でも彼は「僕はもう、10年も働いて年寄りだし、雇えないというのもわかるよ。気にしないで」といってくれ
今日も朝から、庭を掃く音が聞こえてきます。
彼がいたから、必要以上にビクビクせず過ごせた私の2年ももうすぐおしまいです。

帰国に向けて大事に1日1日を過ごしたいと思います。
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